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長尾沙紀のブログです
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貪欲もしくは自由

とても久しぶりにこちらのブログをかきます

今日、ディ○二ー映画の「モア○と伝説の海」という
作品を観てきました

正直、デ○ズニー映画が好き!というタイプでもないので
今回あたかもマッドマッ○スのようなアクション映画で
あると聞き、そんなら見に行くか~って感じだったのですが

まずよくわからないOPムービーで、いまどきいない
キーパンチャーのお兄さんの話を見せられて(しかも長い)
…レトロアニメのつもりなんでしょうかね…ホワイト
カラーでありながら、あんなキーパンチャーみたいな
仕事今時無いでしょう、たぶん
1960年代みたいな感じ?
そして、ステレオタイプな人間の楽しみや幸福はこういう
ことだよ!
みたいなオチ

なんだろうな…やっぱり高校生になったらチアリーダーと
デートしなかったら負け組的ななんかもう…ハンコで
押したみたいなわかりやすい内容
未だアメリカってそんな国なんでしょうか

というか、この時間要らないだろうと観てて思って
しまいました
わかったよ本編早く始めろやみたいな

で、本編

正直、あれまって感じでした

まるで
「スタジオジブ○の宮○駿作品をディズ○ーで作りました」
という印象を受けました
つうか「風の谷のナウ○カ+も○のけ姫」の汎用作品
こう描いちゃったらまさしく「そのまんま」ですけどw

村の長の娘が優しく強く育って、滅び行く世界を、揺るがぬ
信念を貫いて救う
目新しいこととかは何も無いです
うん

でも私が驚いたのはそこではなく

この間までディズニーというと「ア○と雪の女王」で
女の子の表現があまりに「ステレオタイプ」で
ただただ驚かされました
(ティーンの女の子は、恋に憧れてて、明るくノリが
いいけど、なにしろ短慮(ポイント)で落ち込むと
めんどくさい…)
女の子相手に商売してるディ○ニーさんが、こんな風に
女の子のこと表現してたら「馬鹿にするな」と、どっか
の団体からクレームとかこないのかなとか思ったりして
まあアナ雪の場合は
主人公姉妹が似てないようで実はホントにそっくり姉妹で
こいつら立場が逆でもおんなじことやったんだろうな
って感じさせられて
一種そういうキャラ作りは上手いよなって
そこは関心したんですけれど
(単純にゆるがぬ「女子キャラ像」が存在するだけかも?)

話し戻って

そんなディズ○ーさんが突如
「女の子の正統派アクションヒロイン」
を描いたことにビックリ

いままで「女の子は所詮恋がしたいんだろ?」みたいな
変なマッチョイズムがあったのが、今回、手のひらを
返したように

人は良いけど凝り固まった頭しか持ってない「村」から
「変人といわれてる賢者のおばあちゃん」の力をかりて
「彼女の愛する自然とともに」「皆を救う」「冒険へと旅立ち」
「困難を相棒と乗り越え」「その捨て身ともとれる愛と勇気に
荒れ狂う自然も元の姿に戻り」「世界を救う」


…なんですかコレ
スゴイな、どうした一体
まさしく○ヤオアニメではないですか

新しいことはなにもないですが、デ○ズニーが
この必勝パターンを臆面もなく作ってしまうことに
驚きました
まあ昔から結構受けるものは別にこだわりなく
作っていらっしゃったところがありましたが

日本のアニメが「あ~だこ~だ」とやってるうちに
ディズ○ーさんがしれっと、この必勝パターンの
作品を普通の顔して出してきたことに驚かされます
この人たち、なんて貪欲なんだろうと

作品作りにあんまりポリシーみたいなものがない
というか、組織がデカイってことなのかもしれ
ませんけれど、変わり身の早さというか
己の無さというか、そういうものに

ただただ驚きました

そして同時に「いや、負けてられない」とも思い
ました


スケールはぜんぜん違いますが、やっぱりなんかを
表現したい気持ちがある以上、がんばらねばと
思いました
なんだろう、物語を作るってことに対して、心を
新たにさせられました...

話変わって、今回の○アナはもう、これ、このまま
アトラクションに出来ますね
建設費があったら、USJのハリーポッ○ーみたいなの
作ったらそのまま楽しいのが作れそうだわ…
そこまで見越して作ったんじゃないかな
だとしたらたしかに凄いわ

まあそんなわけで、なんかいろいろ学ばされて
考えさせられました

学びは大事ですよね

ご清聴感謝いたします

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怒られない育てられ方
先日、某有名スタジオの当時の某新人監督が手がけた某女の子の小人が主人公のアニメ映画が地上波で流れ
私は見たことがなかったので、これを機会と見てみました
うわ、なんだこれ、弱すぎる
でもまだ壮大すぎてばらけてしまった某有名監督の某息子のアニメ映画よりはマシなのか?
同じようには比べられませんので、どちらがどうともいえませんけれど、もしかしたら壮大な世界に果敢に挑戦した方が、ある意味よいのかもしれません

それはさておき、どうやら原作にあるいろいろ大事だった情報を、監督さんはカットしてしまった様子
まあ、なのであの映画の出来がよろしくないと感じたとしたら、それは単純に監督さんのせいだと思われます

個人的に、この映画、何が言いたいのかよくわからないな…(解らないわけではないけれど、弱すぎるよな)と思い、いろいろ思考をめぐらせた結果、私はこの作品のなかにある弱いところだらけの中にただひとつ、揺るがないポイントはここなのではないかと思う部分を感じまして、ここに書いてみようと思うにいたりました

それは主人公も、もうひとりの主人公の男の子もたぶん「怒られないで育てられた子達」なんじゃないかということ

主人公は滅びゆく種族の子供で、男の子は心臓に疾患を抱えていて、走るのもやっとくらいの病身
彼らはとても「浅はか」なのです
その浅はかさが、ちょっと、なんというか、個性とか若さゆえ以上の何かを私に感じさせました
そこで考え付いたのが「たぶん彼らはなんだかんだいって、立場的に、周りの大人達が思いっきり怒ったりできないままに育ってきてしまったのではないだろうか」ということだったのです

怒られて育ってこなかった彼らは、回りが大人ばかりだったせいもあって、どことなく聞き分けのいい子でありつつも、先人である大人の言うことを実際はなにも聞いていません
だからろくな選択をしない
でも、自分に自信があるのか躊躇わず、自分の思うままに行動する
そして結果、いろいろたくさんのことをやらかしてしまったとしても、別にそれは自分のせいではないと考える
なんてポジティブ
多少非難されたとしても反省心のない「ごめんなさい」の一言で終了

これをもし、監督さんが意識的にそうしていたとしたなら、この監督さんは案外ストーリーテラーとしての手腕があるかもしれませんが
もしそうでないとしたら

もしこれが、監督さん本人がそんな人だから、無意識のうちにこういう主人公達を揺るがないキャラ設定でもって表現してしまったとしたら

ここの某スタジオは某偉大な監督を二人抱え、後継者不足で悩んでいらっしゃるようです
アニメータとして、この若い監督さんは大変才能があるらしいと、記事で読みました
某スタジオにいつづける(力がある人は辞めてしまうでしょうから)人の中で、後継者に育ちそうな一人を、巨匠たちはどう育てたのでしょうか
たぶん巨匠たちはこの人を怒ったりはしてこなかったんではないでしょうか
それこそ、大事な、後継者ですから
とは言葉ばかりで、巨匠たちは別に後進の心配なんてしてないような気もしますけれど(笑)
プロデューサもみんな、お前の好きなようにしたらいいといいつつ、怒られないまま放任されていたとしたら

そして、その部分を横においても、物語を作るうえで、なにか強いものをきっちり出せないのは、エンターテイメントとしても、作品としても、いいものができるようには到底思えません
特にあそこ、某スタジオのあの毒気のない絵は、「毒のある内容を中和するための絵」なのですから
あんな牧歌的な絵で牧歌的内容をやっても意味がないですよね
だからこその童話のような毒のある作品を作った方がよいわけで

まあ、そんなわけで
もともとそのアニメ映画が放映されたのも、その若手監督が新作を作ったからなので、その新作映画の出来がもし、私の杞憂など微塵にも感じさせない作品であったなら、ここに書いたことはただの私の取り越し苦労だったということで、めでたしめでたしとなるのかもしれません

相対的であることが絶対的

今日、ちょっとした勉強会に行きまして、界面活性剤のお話を聞いていて思いました
汚れが落ちるのではなく、汚れが布以上に吸着しやすいものに移行することによって汚れをはがすという話は以前、TVで見ていましたが、世の中、そういうものはたくさんあるらしいということをしりました

浸透させるというのは、浸透しにくいものに安定的にそれを保持させて、なじみやすいものに触れたときに移行させやすくするとか

汚れが落ちるというのは、布側から見たお話でしかないのだということに気づかされました

はあ、なるほどなと

世の中にあるものは単独でものが存在してる場合ということがなく、なんでも相対的にものが存在してるということなのですよね

いやはや、そういうことなんだなと

そんな部分にも相対的であることが活きてるのだなあ

面白いですね

ああ、そうか重力もそうでしたね
重いほうが重力を出して引っ張ってるんでしたね
軽いほうにもちゃんと重力は働いてる

そしてすべてがそんな感じなんですね

なるほどなあ



見て来ました

近場にとあるアニメの施設ができまして
そこにアニメ製作会社マッドハウスさんの直営ショップができたということで、見てまいりました
マッドハウスさんのイメージは私にはアニメーター川尻さんの劇画調のアニメ…はてさて直営ショップとは一体何をするためのものなのかしらと、興味はあったのですが、なかなか行く機会もなく…先日、やっと見てまいりました
そしたらショップが少しで、展示がメインだったんです
展示は、グッズを1000円以上購入するか、アニメセットというアニメの製作用紙のセットを540円で購入すると見ることができます
?なにが展示してあるの??と思ったら、お店のお兄さんいわくの売りは、今やってるらしい、野球マンガ(〇〇〇のエース…腐女子に人気??)と、あとは川尻さんのちょっとむかしの(←ポイントらしい)オリジナルアニメ、獣兵衛忍法帖だかというものの原画やコンテ、動画展示です
というお話

…?
ちょっとピンとは来ませんでしたが、まあとりあえず見てみようと540円でアニメセットを購入して入ってみました

そうしたら謎が解けました
マッドハウスさんもヒット作としてのオリジナルアニメーションをもっていない製作会社で、その川尻さん製作の獣兵衛忍法帖はもともと93年に製作されたオリジナル作品だそうで、それをもう一回新たに作ることにしたと
出来栄えすばらしい脚本もあり、今はコンテを切り始めているところだそうで
ところが、アメリカではどうやら人気らしい川尻アニメも、日本では製作に出資してくれる肝心のパートナーがいない

それをなんとか捜せないかという展示だったのでした

それを皆さんに見てもらうための、客を呼ぶための、今やってるアニメの展示をプラスして行ってると
でもそのアニメは版権がマッドハウスにあるわけではないので、簡単な展示しかできないし、関連グッズ等を作ったとしても手続き等が大変な割に旨みなんてほとんどない仕事になってしまう(この点、同人は好きだというだけで少しのお金とはいえ、稼げていいですね…って同人は稼ぐためのもんではないですけれど)そこでマッドハウスさんが考えたのがその展示メインのショップだったわけです

はあ、なるほど……

なんかしみじみさせられました

某ボンズさんの劇場版オリジナルアニメ、ストレンヂアは、ハガレンの節税対策から作ることができたというお話でしたけど、どこのアニメ製作会社も、オリジナルアニメでのヒット作をなんとか生み出したいと考えているのですね
今現在、きっとオリジナルアニメで興行的に成功できてるのってジブリくらい?
まあこれだって日〇レさんの宣伝あってこそ
だからあれだけ日テ〇さんも、資金を回収するために宣伝するのでしょう
ストレンヂアはとても出来がよいアニメです
あれはみんなに見て欲しい
だけど、結局世間はジブリのようなネームバリューがあって初めて評価対象にするということで、折角の出来のいいオリジナルアニメも、製作会社が一生懸命、イベントとかを開いた時に上映するくらいしかできない
どんなに出来が良くても、興行的に成功できるかは別問題なわけです
さらに言ってしまったら、節税対策くらいに儲からない限り、潤沢な製作資金をアニメ製作会社が手に入れる機会もあまりないということなんでしょうね

アニメはたくさんのスタッフが関わって作るもの
お金がかかります
いろいろ大変なんだな…

萌えアニメもいいですが、こういう、もともとのアニメ作家の人達が「これを作りたい!」と作った作品こそ、ジャパニメーションってヤツなんでしょうから
なんとか、まあ、見る側も、そういうイイアニメも見るようにしたらいいのではないかと…

というか、そういう意味ではアニメも芸術なのでしょうね
どんなに素晴らしくても、なかなか一般の人には価値を見出していただけない


でも久々にその川尻さんの絵を見ていて、なんとなく最近どんな絵を描くかと迷いを感じていた自分も、「ああこういうのイイかも」と思いました
やはり男の人の描く男は、あざとさがなくて、色気がありますよね
憧れます
そういう絵がやっぱり好きだな
頑張ろうと思いました



奇跡というドラマ

先日、耳の聞えないクラッシック作曲家が実は作曲してない、しかも耳も聞えるという事実が発覚して、騒ぎになりましたが、これ、どこかで聞いたことがあるような
はるか昔、某新興宗教家がこんな感じだったように記憶しております
そこでふと思いを巡らせて見ると、もしかして、日本人ってそういう「奇跡の人」に弱いのではないかと思いました
実際、そうなら本当に素晴らしいのですが、基本的に「そういう人がいて欲しい」という夢をまず持っていて、それに当てはまる人が現れたときに案外と素直に信じ込んでしまうのではないかと…

某、宗教家も、これまたヨガ体験というのはとても歴史があって、実のところ「こういう修業を行うとこういう体験ができる」というのがすでにわかっているそうで、それを宗教家が独自に見ることのできる予言であると思ってしまった人たちが素直にそれを信じて熱心な信者になっていたとかなんとか

人は常にそういう奇跡を求めてるっていうことなのかもしれません

ですが、めったに起らないからこそ、奇跡であるともいえます

そしてよく考えたら、起こり得ないことが起るというのが奇跡だとしたら、それも起りえないという固定観念が生み出したものだとも考えられます
固定観念ありきの奇跡は、本当の奇跡ではない、概念的な奇跡ということでしょうか
思い込みさえなければ、稀に起ったことなのかもしれません

予言も、自分が想像できてないだけで、案外とただ起るべくして起きたってだけの話で、自分だけが「これは予言が当ったんだ!」とか思ってる可能性もあるということですね

それもこれも人は日常を越えたそういう特殊性を、自分の内部にも、自分の周囲にも、求めてしまう傾向があるのだということでしょうか

ドラマチックさというか

そして逆に
そういう部分を抜いた、短絡的でない部分になら、奇跡はいくらでもありそうだなとか思うのです
地球がスノーボールアースを超えて、進化した生物を生み出したのだって奇跡ですよね
それこそが本当の奇跡なのかもしれません

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