長尾沙紀のブログです
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奇跡というドラマ
先日、耳の聞えないクラッシック作曲家が実は作曲してない、しかも耳も聞えるという事実が発覚して、騒ぎになりましたが、これ、どこかで聞いたことがあるような
はるか昔、某新興宗教家がこんな感じだったように記憶しております
そこでふと思いを巡らせて見ると、もしかして、日本人ってそういう「奇跡の人」に弱いのではないかと思いました
実際、そうなら本当に素晴らしいのですが、基本的に「そういう人がいて欲しい」という夢をまず持っていて、それに当てはまる人が現れたときに案外と素直に信じ込んでしまうのではないかと…
某、宗教家も、これまたヨガ体験というのはとても歴史があって、実のところ「こういう修業を行うとこういう体験ができる」というのがすでにわかっているそうで、それを宗教家が独自に見ることのできる予言であると思ってしまった人たちが素直にそれを信じて熱心な信者になっていたとかなんとか
人は常にそういう奇跡を求めてるっていうことなのかもしれません
ですが、めったに起らないからこそ、奇跡であるともいえます
そしてよく考えたら、起こり得ないことが起るというのが奇跡だとしたら、それも起りえないという固定観念が生み出したものだとも考えられます
固定観念ありきの奇跡は、本当の奇跡ではない、概念的な奇跡ということでしょうか
思い込みさえなければ、稀に起ったことなのかもしれません
予言も、自分が想像できてないだけで、案外とただ起るべくして起きたってだけの話で、自分だけが「これは予言が当ったんだ!」とか思ってる可能性もあるということですね
それもこれも人は日常を越えたそういう特殊性を、自分の内部にも、自分の周囲にも、求めてしまう傾向があるのだということでしょうか
ドラマチックさというか
そして逆に
そういう部分を抜いた、短絡的でない部分になら、奇跡はいくらでもありそうだなとか思うのです
地球がスノーボールアースを超えて、進化した生物を生み出したのだって奇跡ですよね
それこそが本当の奇跡なのかもしれません
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