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長尾沙紀のブログです
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ファッション

事実は小説より奇なり

でしたっけ

東日本大震災から一年半以上経ちましたが、なんと申しますか、現実におけるの破壊とか惨劇とかそういうものを、見てしまってからというもの、なんかそれ以前から時としてあった風潮といいますか、やたらマンガやアニメとかで破壊シーン等あるのを見ると、なんと申しますか

どう解釈すべきかと考えてしまう時があります

悲惨なものとかそういうものを描くことというのは、なんというか、これ機械的に描くか、本当にそれが惨劇だと伝えるために描くとかそういう「作業としての感覚」や「製作の意図」というものがあってこそのその「作品」なので
なんつうか

先日、とあるアニメを見てまして、そしたらスゴイ物理的攻撃力の高いキャラが街中で暴れるシーンがありまして

そのキャラが(とりあえず現時点で)意味もなく町を破壊するシーンを眺めていたら

「これってなんか…微妙だなあ」としみじみいたしました

意味なく町並みが破壊され、まあ子供向けですから人は死なないんでしょうけど、でもモノならいくらでも壊していいってのも良く考えたらへんな話だよなあ…と

かく言う自分にもちゃんと中学の頃とか子供の頃とか、そういったものを楽しんでた時代もありましたよ

でも今ほどにCGとかの演算能力とか高くなかったから、そんなにバカスカ都市やらを破壊する映像とかはなかったかな

大人になってそういうものを見ると思うのです
「そんなに世間の人たちは皆、いろんなもんをぶっ壊したいのだろうか」と
現代人はストレスでも溜まってるんですかねえ

その「破壊」にたいして激しい主張なき作品におけるそういったシーンてのはすでに「ファッション破壊」なのかなとか
ファッション破壊だったらちょっと見るのはやだなあと個人的に思います

現実にはできないからこそのフィクションなんじゃないのかと仰られるかたもいるかと思いますが
もちろんそうなんですけど
フィクションってのは現実があってはじめてのフィクションなので、せっかくモノを破壊するなら「破壊」とは何たるかを多少なりとも感じるくらいの…なんと申しますか、「重き」があった方がいいんじゃないのかなとか

個人的意見ですけれど

血も出そうにないキャラから血が流れても、あんまり痛そうじゃない
そしたらその痛みはないものなのか
やっぱり「ファッション流血」なんですかね

今の時代は先ほど書いたように、CGとかの技術が進んでこういう表現がセットを組むよりも多少なりとも安価で製作できるようになってるから、多いだけで、昔からこういうものを作りたいという気持ちを持った人たちは結構いたのかもしれないので、時代の問題もまた、そういう点では意味をなさないのかも

その「リアリティがないって部分こそがいいんじゃないか」という考え方もあるのですけれど、どんな作品も受け取り手は、自分達(現実の人間)なのでね

興味深いところです


大人になるといろんなことを考えるんだなと、最近になって思うようになりました

単純な物理的破壊だけでなく、いろんなことが、表現方法としてこれからいろいろ出てきたらいいなあと思います

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