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長尾沙紀のブログです
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怒られない育てられ方
先日、某有名スタジオの当時の某新人監督が手がけた某女の子の小人が主人公のアニメ映画が地上波で流れ
私は見たことがなかったので、これを機会と見てみました
うわ、なんだこれ、弱すぎる
でもまだ壮大すぎてばらけてしまった某有名監督の某息子のアニメ映画よりはマシなのか?
同じようには比べられませんので、どちらがどうともいえませんけれど、もしかしたら壮大な世界に果敢に挑戦した方が、ある意味よいのかもしれません

それはさておき、どうやら原作にあるいろいろ大事だった情報を、監督さんはカットしてしまった様子
まあ、なのであの映画の出来がよろしくないと感じたとしたら、それは単純に監督さんのせいだと思われます

個人的に、この映画、何が言いたいのかよくわからないな…(解らないわけではないけれど、弱すぎるよな)と思い、いろいろ思考をめぐらせた結果、私はこの作品のなかにある弱いところだらけの中にただひとつ、揺るがないポイントはここなのではないかと思う部分を感じまして、ここに書いてみようと思うにいたりました

それは主人公も、もうひとりの主人公の男の子もたぶん「怒られないで育てられた子達」なんじゃないかということ

主人公は滅びゆく種族の子供で、男の子は心臓に疾患を抱えていて、走るのもやっとくらいの病身
彼らはとても「浅はか」なのです
その浅はかさが、ちょっと、なんというか、個性とか若さゆえ以上の何かを私に感じさせました
そこで考え付いたのが「たぶん彼らはなんだかんだいって、立場的に、周りの大人達が思いっきり怒ったりできないままに育ってきてしまったのではないだろうか」ということだったのです

怒られて育ってこなかった彼らは、回りが大人ばかりだったせいもあって、どことなく聞き分けのいい子でありつつも、先人である大人の言うことを実際はなにも聞いていません
だからろくな選択をしない
でも、自分に自信があるのか躊躇わず、自分の思うままに行動する
そして結果、いろいろたくさんのことをやらかしてしまったとしても、別にそれは自分のせいではないと考える
なんてポジティブ
多少非難されたとしても反省心のない「ごめんなさい」の一言で終了

これをもし、監督さんが意識的にそうしていたとしたなら、この監督さんは案外ストーリーテラーとしての手腕があるかもしれませんが
もしそうでないとしたら

もしこれが、監督さん本人がそんな人だから、無意識のうちにこういう主人公達を揺るがないキャラ設定でもって表現してしまったとしたら

ここの某スタジオは某偉大な監督を二人抱え、後継者不足で悩んでいらっしゃるようです
アニメータとして、この若い監督さんは大変才能があるらしいと、記事で読みました
某スタジオにいつづける(力がある人は辞めてしまうでしょうから)人の中で、後継者に育ちそうな一人を、巨匠たちはどう育てたのでしょうか
たぶん巨匠たちはこの人を怒ったりはしてこなかったんではないでしょうか
それこそ、大事な、後継者ですから
とは言葉ばかりで、巨匠たちは別に後進の心配なんてしてないような気もしますけれど(笑)
プロデューサもみんな、お前の好きなようにしたらいいといいつつ、怒られないまま放任されていたとしたら

そして、その部分を横においても、物語を作るうえで、なにか強いものをきっちり出せないのは、エンターテイメントとしても、作品としても、いいものができるようには到底思えません
特にあそこ、某スタジオのあの毒気のない絵は、「毒のある内容を中和するための絵」なのですから
あんな牧歌的な絵で牧歌的内容をやっても意味がないですよね
だからこその童話のような毒のある作品を作った方がよいわけで

まあ、そんなわけで
もともとそのアニメ映画が放映されたのも、その若手監督が新作を作ったからなので、その新作映画の出来がもし、私の杞憂など微塵にも感じさせない作品であったなら、ここに書いたことはただの私の取り越し苦労だったということで、めでたしめでたしとなるのかもしれません

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奇跡というドラマ

先日、耳の聞えないクラッシック作曲家が実は作曲してない、しかも耳も聞えるという事実が発覚して、騒ぎになりましたが、これ、どこかで聞いたことがあるような
はるか昔、某新興宗教家がこんな感じだったように記憶しております
そこでふと思いを巡らせて見ると、もしかして、日本人ってそういう「奇跡の人」に弱いのではないかと思いました
実際、そうなら本当に素晴らしいのですが、基本的に「そういう人がいて欲しい」という夢をまず持っていて、それに当てはまる人が現れたときに案外と素直に信じ込んでしまうのではないかと…

某、宗教家も、これまたヨガ体験というのはとても歴史があって、実のところ「こういう修業を行うとこういう体験ができる」というのがすでにわかっているそうで、それを宗教家が独自に見ることのできる予言であると思ってしまった人たちが素直にそれを信じて熱心な信者になっていたとかなんとか

人は常にそういう奇跡を求めてるっていうことなのかもしれません

ですが、めったに起らないからこそ、奇跡であるともいえます

そしてよく考えたら、起こり得ないことが起るというのが奇跡だとしたら、それも起りえないという固定観念が生み出したものだとも考えられます
固定観念ありきの奇跡は、本当の奇跡ではない、概念的な奇跡ということでしょうか
思い込みさえなければ、稀に起ったことなのかもしれません

予言も、自分が想像できてないだけで、案外とただ起るべくして起きたってだけの話で、自分だけが「これは予言が当ったんだ!」とか思ってる可能性もあるということですね

それもこれも人は日常を越えたそういう特殊性を、自分の内部にも、自分の周囲にも、求めてしまう傾向があるのだということでしょうか

ドラマチックさというか

そして逆に
そういう部分を抜いた、短絡的でない部分になら、奇跡はいくらでもありそうだなとか思うのです
地球がスノーボールアースを超えて、進化した生物を生み出したのだって奇跡ですよね
それこそが本当の奇跡なのかもしれません

ファッション

事実は小説より奇なり

でしたっけ

東日本大震災から一年半以上経ちましたが、なんと申しますか、現実におけるの破壊とか惨劇とかそういうものを、見てしまってからというもの、なんかそれ以前から時としてあった風潮といいますか、やたらマンガやアニメとかで破壊シーン等あるのを見ると、なんと申しますか

どう解釈すべきかと考えてしまう時があります

悲惨なものとかそういうものを描くことというのは、なんというか、これ機械的に描くか、本当にそれが惨劇だと伝えるために描くとかそういう「作業としての感覚」や「製作の意図」というものがあってこそのその「作品」なので
なんつうか

先日、とあるアニメを見てまして、そしたらスゴイ物理的攻撃力の高いキャラが街中で暴れるシーンがありまして

そのキャラが(とりあえず現時点で)意味もなく町を破壊するシーンを眺めていたら

「これってなんか…微妙だなあ」としみじみいたしました

意味なく町並みが破壊され、まあ子供向けですから人は死なないんでしょうけど、でもモノならいくらでも壊していいってのも良く考えたらへんな話だよなあ…と

かく言う自分にもちゃんと中学の頃とか子供の頃とか、そういったものを楽しんでた時代もありましたよ

でも今ほどにCGとかの演算能力とか高くなかったから、そんなにバカスカ都市やらを破壊する映像とかはなかったかな

大人になってそういうものを見ると思うのです
「そんなに世間の人たちは皆、いろんなもんをぶっ壊したいのだろうか」と
現代人はストレスでも溜まってるんですかねえ

その「破壊」にたいして激しい主張なき作品におけるそういったシーンてのはすでに「ファッション破壊」なのかなとか
ファッション破壊だったらちょっと見るのはやだなあと個人的に思います

現実にはできないからこそのフィクションなんじゃないのかと仰られるかたもいるかと思いますが
もちろんそうなんですけど
フィクションってのは現実があってはじめてのフィクションなので、せっかくモノを破壊するなら「破壊」とは何たるかを多少なりとも感じるくらいの…なんと申しますか、「重き」があった方がいいんじゃないのかなとか

個人的意見ですけれど

血も出そうにないキャラから血が流れても、あんまり痛そうじゃない
そしたらその痛みはないものなのか
やっぱり「ファッション流血」なんですかね

今の時代は先ほど書いたように、CGとかの技術が進んでこういう表現がセットを組むよりも多少なりとも安価で製作できるようになってるから、多いだけで、昔からこういうものを作りたいという気持ちを持った人たちは結構いたのかもしれないので、時代の問題もまた、そういう点では意味をなさないのかも

その「リアリティがないって部分こそがいいんじゃないか」という考え方もあるのですけれど、どんな作品も受け取り手は、自分達(現実の人間)なのでね

興味深いところです


大人になるといろんなことを考えるんだなと、最近になって思うようになりました

単純な物理的破壊だけでなく、いろんなことが、表現方法としてこれからいろいろ出てきたらいいなあと思います

目が覚めたような気分

全てのことに言えるのですが、物事にはよく、いろんな角度から見ることができるってのがありますよね

数時間前まで、なんというか、いろいろマイナス面ばかり考えてたんですけれど、裏を返すとプラスにつながるというのはこのことか!!!
と突然目が覚めたように気付きました

本当に物事には両面あるんですね!
ビックリです。。。

先人達が言ってたのはこれなのか…

というわけでコミケに参加します

日曜日西 め-05bです


…皆さんにお見せできるものができると…信じて…(涙)

せっかくの開眼、生かせるのか

言葉の重み

他の国の言葉をよくしらないので、日本語についてしか語れませんが、言葉というのは大変良く出来ていると思います
長い歴史の間、毎日毎日、ずーっと使い続けられて生まれ、そして今後も使い続けられるからなのでしょう

本当によくできていて、すごいと思います

私はマンガ描きですが、マンガ描くときは辞書を片手にネーム切ったりしてます

セリフだけでも、時々「あれ、この日本語表現あってる??」と思うときがあるからです

前に小説を書いたのですが、文章ってモノは突きつめたら、もうどうにでも書けるので、本当に難しいなと思いました
逆に言えば、表現は無限にあるということで、なんとも深いですね。。。

でも最近流行の小説って…なんつうk


話戻って

日本語が深いのは、きっと国民性も表してるのでしょう
日本人はきっと、実は大変微細な感覚をもっているのではないかと思います

その時はなんか使えないのはもったいないなと、頑張って書いたのですが、文章かくのって面白いなと思うくらいで終わってしまいました


私は本分の絵の方で頑張りたいと思います


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